世界に衝
05年10月に始まった本紙大阪面のがん連載を、本連載「がんを生きる」を含めて約2年半、担当した。テーマのあまりの大きさに立ち尽くすこともあったが、取材を受け入れてくれる患者や家族、関係者の勇気に背中を押され、続けることができた。この度、担当を離れるにあたり、取材に協力してくれた少年や家族らとのやり取りの一部を紹介したい。三木さんはゴールデンウイーク中に体調を崩し、前日10日に緊急入院。一時持ち直したものの、この日明け方に容体が急変。恵理子夫人に見守られながら息を引き取った。06年6月に下咽頭がんを告知され、同年7月に声帯の半分を切除する手術を受けた。その後がんは肺にも転移。岡山の病院には、がん治療の名医がいると紹介されて入院していた。妹で歌手の黛ジュンは知がんせを受け、岡山の病院で三木さんと対面。その後、マスコミ各社にファクスで「兄のギターで歌っていた幼い日々や、初めて兄の作品を吹き込みした時のことが、次々とよみがえってきて今は言葉にできません」とコメント。2人は1月13日にNHK歌謡コンサートに出演し、30年ぶりに兄妹共演を果たしていた。田村結人(ゆうと)君は、乳幼児特有のがん「神経芽腫(がしゅ)」と闘う小学3年生だ。昨年3月、茨木市内の自宅で初めて会った。つっけんどんなようで、実は好奇心を抑え切れないおちゃめな少年だった。その後、会う度に「なあなあ、何かしようや」と遊びに誘われた。歌手志望だった三木さんは中学時代、黛が作曲家の船村徹氏のもとで受けていたレッスンに同行し作曲家の道を勧められた。67年に泉アキの「恋はハートで」で作曲家デビュー。石川さゆり「津軽海峡?冬景色」などの歌謡曲から、アニメ「アンパンマン」や全国高校サッカー選手権のテーマ曲など、ジャンルを超えた作品を生み出す先進性で、05年には紫綬褒章を受章した。作詞家の荒木とよひさ氏とは名コンビで知られ、故テレサ?テンさん(享年42)の「つぐない」「時の流れに身をまかせ」などミリオンセールスを連発。
荒木氏は盟友の早過ぎる死に「心がちぎれるほど悲しくて言葉がありません」とコメントするのがやっとだった。私たちのからだの細胞は、無限に分裂できないため、「不老不死」はありえません。細胞が分裂できる回数は、生物の種類によって決まっていて、分裂できなくなることは「死」を意味します。つまり、回数券を持って生まれてくるようなものです。人間の場合、52回くらいと言われています。回数券の枚数が多い動物ほど長生きをします。山形県は胃がんを中心にがんの死亡率が高く、とりわけ庄内地方は高い。一方で、酒田市は胃がん、大腸がん検診の受診率が低かった。「40―50代の働き盛りの受診率の伸び悩みが特に課題だった」(荒生さん)という。成人保健係では2006年から、市の広報だけに頼っていた債務整理 大阪掛けをやめ、検診申込書の全戸配布を開始。医師を招いた講演会を頻繁に開くなど、啓発を徹底した。その結果、20%弱だった胃がん、大腸がん検診の受診率は県平均並みの30―40%に上がった。なぜ、細胞分裂の回数に限界があるのでしょうか。細胞分裂では、DNAをコピーして二つの細胞に振り分けます。私たちのDNAは、2メートルもある「ひも」のような線状の物質です。このDNAがコピーされるたび、DNAの両端が短くなります。実際、私たちのDNAの末端の長さは、年齢とともに短くなり、これ以上短くできない長さになるとDNAのコピーができなくなり、細胞分裂にピリオドが打たれるのです。記事への登場はリスクがあり、場合によっては誤解を生むこともある。それでも取材に応じる理由を、父太郎さんは「結人は病気になって、たくさんの人にお世話になった。この経験を社会に生かしてもらい、恩返ししたい」と話した。とは言え、病気という極めてプライベートな話をどこまで記事にしていいのか、何度も躊躇(ちゅうちょ)した。本人の今後に影響するような場合を想定し、記事化したい内容は両親や医師に事前に相談したが、ストップがかかることはなかった。
こんなこともあった。久々に登校した結人君の様子を撮影したい、と学校側に相談した。近年はプライバシー重視の傾向が強く、学校取材は難しくなっている。それでも学校側は取材の目的を理解し、校名を出さない条件で最大限協力してくれた。紙面に掲載された写真には、マスク姿の結人君を取り囲む同級生の笑顔が映り、雰囲気を伝えることができた。学校側が労を惜しまず、本人と保護者に了解を得てくれたおかげだ。一連の記事は、今では教員の間で結人君の「自己紹介」として定着しているという。1996年、スコットランドの研究所で生まれた子羊ドリーが、世界に衝撃を与えました。ド美容室 仕事ーは、6歳の雌羊の乳房の細胞から「造られた」からです。世界で初めて、哺乳(ほにゅう)類の体細胞から作られたクローン動物で、クローン人間が生まれる可能性さえ示していました。しかし、その後の研究によって、ドリーのDNAの末端が短くなっていることが分かりました。DNAの「供給元」の羊が6歳だったため、ドリーのDNAも6年分短くなっていたのです。ドリーが生まれたとき、その細胞は0歳ではなく、すでに6歳になっていた、というわけです。では、がん細胞は、なぜ「不老不死」なのでしょうか。がん細胞のDNAも分裂とともに短くなり、いつかは分裂できなくなるのではないでしょうか。実は、がん細胞でも、細胞分裂のときにDNAをコピーするたびに、DNAの端が短くなっています。ところが、がん細胞には、これを元の長さに戻す仕組みがあるのです。つまり、がん細胞は「細胞の若返り」をしながら、無限に分裂しているというわけです。山形ショッピング枠 現金化田市健康課に勤務する荒生佳代さんが厚生労働省の有識者会議「がん対策推進協議会」の委員に、東北からただ1人選任された。がん検診の受診率向上に取り組んだ実績が認められた。荒生さんは「地方の実情を進言し、自分自身も勉強したい」と意欲を見せている。協議会は全国の医師や行政担当者、NPO関係者ら20人で構成し、任期は2年。年3回の会議で、国のがん対策推進基本計画に対して意見を述べる。他にも、各関係者が取材に協力してくれたが、何よりも感謝しているのは、結人君自身の頑張りだ。元気な時もしんどい時も語り、入院中で会えない時には電話でインタビューに応じてくれたこともあった。母亜紀子さんから「結人が友だちに『オレの記事、見てる?』と話している」と知らされた時は、取材への主体的な姿勢に驚かされた。今年4月には、体調がすぐれず、昼食のそばを半分以上残したが、沖縄旅行の様子を身ぶり手ぶりで再現してくれた。 
世界に衝撃を与えました